読むことができなくても手に入れた書籍は無限に向かって到達する魂よりも空っぽな1冊の書籍を読む行為より多くの書籍を購入したくなる興奮を生み出す。我々はたとえ読まなくても本のたった一つの存在感が慰めをもたらすし、いつでも手に取れる安心感ももたらしているから本を愛している
アルフレッド・エドワード・ニュートン
おはようございます!なべっちです
僕は自由に使えるお金のほとんど本に使っていますが、全て読めているわけではありません。
本を買った時は興味があったり、読みたいと思って買ったはずなのに、数ページ読んだら止まってしまったりしたことは誰にでもあるのではないでしょうか?
いつもは心理学を使い、行動したいことをするための情報をお伝えしていますが、
今回はいわゆる「積読」になってしまっても、罪悪感を持つ必要はないというお話です。
積読になってしまっても価値がある理由とは?
本は買っただけで価値がある。脳が進化する
読んでなくても積んだ分だけ視座は高くなる
本棚にあるだけでかっこいい
自分の頭や興味のあることの可視化
本棚で自分を表現することもできる
話のきっかけになる
江戸時代から読書法の1つである
時には持ち歩きファッションアイテムとして
という理由からです。
本を買ったということは、その時は興味を持ったということです。
しかもお金を出しているのでそれだけ価値を感じた意思決定をしたということなので脳も少し進化しています。
装丁もかっこよかったり、タイトルも難しそうだと本棚にあるだけで悦に入ることができます。
また「いつでも読める」からこそ「読めていない」のかもしれませんが、選択肢には常に入っており、パラパラとでも読むこともできます。
友人が遊びに来た時にも、心理学の本や哲学の本があれば、そこから話も広がるかも知れませんし、絵画や写真集やデザインの本があれば、デザインに興味がある人と思われると思います。
本棚を自分の好きなもの、興味のあるもので埋まっていたりするのはとても満足感が得られます。
例えば名著である「7つの習慣」なども読んだ?という話になった時にも本棚にあれば「読んだ」といってしまっても良いと思いますし、後で気になったところなど読むこともできます。
江戸時代の書物語辞典によると「朗読・黙読・積置を書の三読法と称した」とあり積んでおくこともまた読書法の一つでもあるのです。
好きな哲学者の本を時には持ち出し、カフェや待ち合わせの時には読まずに開いてるだけでも知的にみえますし、ちょっと読んでみても良いでしょう。
まとめ:自分の興味を持った本は買ってみよう!
最近、読書をするためには「本は全部読まなくて良い」言われています。全部読もうとすると手がつけられなかったりしますし、その本から何を得るかが大事だからです。
全部読まなくてはいけないと決めつけず、本を自由に使いましょう。
悦に入るのも自由ですし、時には手に取るのも自由です。
迷ったらちゃんと読めるかな?と考えず買ってみましょう。
その意思決定が脳を進化させます
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