不幸自慢も優越コンプレックス

不幸自慢と優越コンプレックス 雑記
不幸自慢と優越コンプレックス

おはようございます!なべっちです。

今回は不幸自慢についてですが、アドラー心理学においての不幸自慢についてです。
どこからが不幸自慢になるのか、というのも事実を述べても自慢みたいになってしまうかもしれません。ですから、伝える側の気持ち、メンタリティが大事な話だとは思います。

基本的に優越コンプレックスというのは、よく見せようとしたり、比較したりして優位にたとうとすることですが、逆に「自分はこんなに不幸だ」というのも優越コンプレックスの一種だと言われています。

好んで自分の不幸な話をする人は、不幸であることによって特別であろうとして、ある意味優れていると示していることになるのです。

不幸な話を聞くと、周りは「大変でしたね」など同情をするしかありませんが、優越コンプレックスによる不幸自慢をする人の場合は、自分は特別なので、「あなたにはわかるわけない」と拒否をしてしまいます。

弱さというのは権力でもあります。

例えば、赤ちゃんはまだ自分で何もできない誰よりも弱い存在ですが、赤ちゃんが泣いていると誰もが相手をしてなんとかご機嫌を取ります。
赤ちゃんはその場にいる人を弱さによって支配しているとも言えます。

また、不幸な自慢をしていると心理学的には、「そんなに不幸だということはこの人には何かしら問題があるのかもしれない」と思われ好感度が下がるので良いことはあまりなさそうです。

僕は元々、貧しいことを悟られないように、不幸な話や家庭のことはできるだけ隠していましたが、今は特にオープンですし、過去のことなので、特に気にしていません。
かといって話した時にあまり自慢みたいにならないように気をつけたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました