【哲学】役に立つことだけを考える実用主義を実用することについて思ったこと【プラグマティズム】

デューイ 実用主義 LIFE

こんにちは!なべっちです。

最近は哲学の歴史、文脈が面白くてワクワクしてドキドキするなとはまっています。

もしかしたら常識かもしれないのですが、大まかにしか知らなかったので、ある考え方についての批判があって、またそれに対しての批判があってとスリリング。

文豪ストレイドッグスみたいに哲学者でバトル漫画ができるでしょ!って考えるだけでも面白いなと思いました。

学んでいるうちにも入らない大まかな流れを知っていっているだけですが、今回は実用主義(道具主義)のデューイについてです。

真理かどうかはどうでもよく役に立つかどうかを考える【生きるための道具】

今まで真理についての探求がありヘーゲルの弁証法でいうなればより良い世界になっていくはずが争いは絶えず、人間の理性があればいつかはたどり着くといった楽観的な考えは説得力を失っていました。

そんな中キルケゴールなどの批判が生まれ、デューイの実用主義についてざっくりと要約すると「真理かどうかはどうでもよく、実際の生活に役に立つかどうか」という視点で考えるということです。

「硬い」とは何か?については様々なことが考えられます。硬いとは特性を見て押しても凹まないとか強度だったり、形容としての硬いもあるでしょうし、では軟らかいとの間は?など。

しかし実用主義で言えば、「硬い」が何に役に立つかを考えることです。

理性さえも道具で全て役に立つかどうかで考える。この考え方も道徳にもつながっていきます。

例えば「人を叩いてはいけません」これに対しなぜいけないかの議論をしていてもたくさん出てきますが、叩かないことによって人とうまくいき平和になるのであれば、「人は叩かない」といったことは真理であり、その道徳の正体が人の役に立っているものであれば良いのではないか?極端にいうとダメだからダメと教育がなされてそれが守られるのであれば良いのではないかと考えられます。

嘘も真理となりえる

例えば余命が後1年の患者に告知するかどうか?についてですが、これも伝えたことで悲しみショックをうけるのであれば、伝えないことでその人が明るく毎日を過ごせるのであれば伝えないことも真理であるということです。(この例だとその人が聞いた時の反応や知りたいかどうかの希望もわからないのでケースによると思いますが)

例えばパートナーと仲良くしていたいけど浮気をした際、浮気したことを伝えない方がパートナーと仲良くやっていけるのであれば伝えないことが真理となります(肯定しているわけではないです!)

今までは問題の出し方が悪く、どう活かせるか、役に立つのかなどについて考えることが大事ということです

実用することについて

日常生活でもこの視点は使えると思います。そもそも、様々な哲学や知識なども実際に役立てることは何かと考えることが大事で役に立つものを採用していけばいいと思います。

役に立つ感情を使う。もしくはその感情の活かし方を考える。

不安や、怒り、罪悪感、嫉妬などネガティブな感情を抱えることがありますが、これをそのまま受け止めると辛くなると思います。

ただ間違えているのはこの感情は全て使い道があるということです。

怒りや嫉妬をそのままぶつけると人と対立したり傷つけたり、その結果立場まで悪くなったりしますが、本来は自分が大事にしているものがわかるための感情ですし、自分がそれを守ったり手に入れたりするために行動や変えるためのエネルギーにできるものです。

不安もそのままでは辛いですが、本来は準備だったり何が足りないかを知らせてくれるための感情なので、正しく処理でき不安な人ほど成功すると言われているのはそのためです。

ストレスもストレスをどう捉えているかによって反応が変わってくるのがわかっていて全て、どう活かすか?という視点を持つことでネガティブにならなくなります。

感情はその感情に期待する効果が現れると言われているので、どのように役に立つか?と考えるのが大事です。

テレビをみるかみないかとか

テレビとかニュースは見ても何か役に立ちますか? みてストレス解消になる人や好きなら役に立つので観ればいいと思います。

僕は役に立たないと思ったというよりは他に好きなことがあるので観るのをやめました。必要なニュースはどうせ周りの会話の中であったり触れることになるので、わからなければ聞けばいいですし。7つの習慣でもいわれているようにただの「関心の輪」だと考えたからです。

ただ何にせよその人が役に立つと思えていればいいのではないでしょうか?

ダイエット

例えばトクホのお茶を飲みながら食事は気を使っていない人がいた時、他から見えたときには有効でないなと思いますが、その人にとって人生の満足度が上がるのであればいいのかもしれません。

ただそのことが役に立っていなく望む結果にならないとしたら、その行動は役に立っていないから何かしらの改善をしたほうがいいのかもしれません。

その時には自分で正しい方法を学べるといいのかもしれないと思いますが最終的にはその人の人生なのでどちらでも良いのかもしれません。

まとめ

実用主義とは真偽問わず役に立つかどうかで考えること

科学的な根拠はあったほうがその行動などの有効性が測れるのでいいと思いますが、その人が満足していればそれもいいのかもしれません。

コメント

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