【なぜ学ぶのか?】知識と教養の違い

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こんにちは!なべっちです!

朝早く起きて勉強の時間をとっていますが、

なんのために学ぶのか?知識を身につけるためなのか教養を身につけるためなのか。
そもそも知識と教養の違いとは?

そんな話をしたいと思います。

知識は持ち合わせの資金、教養は資産のようなもの

知識というのは、お財布に入っているお金のようなもので、必要なときにすぐ出せて使えるもの。

たまたまその時に持っていればその場で出せるもので、
例えば、プロテインってなんでダイエットにいいの?

と言った質問に対して、プロテインについて知っていれば、そこから出して伝えることができます。

教養は資産のようなもので、その場で使う使わないも判断でき、そのもの自体が価値を生んだりするようなもの。

本当の実力みたいなもので、知識としてプロテインのことを知っていても、それだけしかできないですが、

教養として持っていれば、プロテインの特性を生かしたボディメイクについて提案ができるでしょう。

教養は知識からは計り知れないものです。

そんなことも知らないのかと言われた時に言い返したりする場面はどちらも教養がないからで、

知識がないことを非難されてダメージを受けたり言った方もそれがダメージになると考えているからです。

教養があれば、是非教えて欲しいと返せますが、なぜなら、資産家であれば、今持ち合わせがないから千円貸して欲しいと恥ずかしさを感じることもないですが、

資産のない人は、屈辱的な気持ちや、恥ずかしさを感じるので、そんなことがないように、お金をいっぱい持ち歩くでしょう。

教養は築くもの

教養は知識との量の違いもあるかもしれませんが、応用を利かすことができ、そこから何か産むことができるか?という違いが一番大きいと思います。

与えられたものや、知ったことをそのままにしていたら、資産にはならないでしょう。

知ったことをそのままにせずアウトプットや活用していくことを考えることが必要なのだと思います。

僕が今やっているのはまだ知識を身につけるところかもしれません。

クイズや質問にいくら答えれるようになっても意味はないでしょう。

それであれば、今は調べることができます。

レバレッジをかけて使えるようにしていきたいですね!

なんのために教養を身につけるのか

教養とはリベラルアーツとも言います

自由に生きるための技術という意味です。

ただ知識を知っていくだけではなく、本質的なものを身につけ、自分はこう生きるという人生観にまで発展させることが必要だと思います。

記憶喪失になった人は

ここはどこ?

私は誰?

と実際に言うかはわかりませんがよくでてきます。

ここはどこ?とは自分のいる世界について、

私は誰?と言うのは人間とは何か、自分とは何か?

この2つについて記憶という全てを失った時によりどころになる問いなのではないかということです。

学んでいくのはただ、事実を知っていくためでなく、

自分の「世界観」「人間観」「人生観」を確固たるものにしたいからではないでしょうか?

単純に学ぶことは楽しく、子供の頃にそれをもっと知っていたなーと思いますが、

今できることをするしかないので、少しずつ積み上げていきたいです!

コメント

  1. […] […]

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