おはようございます!なべっちです。
今は自分の意見をSNSなどでも発信しやすい世の中になり、いろんな考え方など知ることもできるようになりました。
しかし、意見ではなくただの「反応」のようなものも多く見受けられます。
また、意見をいうにしても「個人的には」というような防御的な言葉を使うようなことも見受けられます。
ちきりんさんの具体例でこんなことがありました
ちきりんさん
「アプリが納品されたときに動作確認もしないなんて、厚生労働省はアホすぎる!」
というコメントをしたときに
「ちきりんはなにもわかっていない!」
「厚労省のどういう点がひどいと思うのですか?」
「開発会社側に問題がないというなんてありえない」
というコメントがありました。
これはただの「反応」です。
これらはただちきりんさんの意見の否定や質問をしているだけで、自分がどう思っているのか明確にしていません。
「厚労省はたしかにひどいけどでも開発会社もひどい」というコメントもありましたが、これはどちらも良くないというポジションをとっているので意見ともとれますが、結論として、どちらがより責任が重いか、という点についてポジションをとっていないので、反応となります。
意見とはポジションをとること
こちらのコメントは意見と言えます。
「いや反対だ。ヒドいのはアプリの開発会社だ。厚労省の問題じゃない」
「厚労省もヒドいけど受注側の開発会社のほうがヒドいでしょ」
酷いのはアプリの開発会社だというポジションが明確にわかるので「意見」といえます。
問題には正解があるものとないものがあります。
正解がない問題だからこそ、違う意見があることを認める
他の意見があるからこそ、意見なのです。
違う意見に対し、その人の人格などを過度に否定するのではなく、その考えに至るプロセスを批判するのであれば良いでしょう。
ポジションをとる。ということは当然自分も反対意見に晒されることになります。自分の意見も話を聞いて変わることもあるでしょう。
しかし、ポジションをとるということが大事です。そういう意見もあるよねーはもちろんなんですが、自分の意見を持っていなければ何の意味もありません。
自分も反応になっていないか、気をつけながら自分の意見を持っていたいと思います。
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