客観的な意見という幻想

主観と客観 LIFE
主観と客観

自分よりゆっくり車を走らせている奴はバカで、自分より速く車を走らせている奴はイカれていると思ったことはないか?

ジョージ・カーリン(コメディアン)

おはようございます!なべっちです。

今日は「客観的」についてです。

誰かのやっていることに対し「客観的には〇〇だと思うよ」といったりしたますが、この「客観的」も「それあなたの主観ですよね」ということが往々にしてあります。

人は自分に客観性があると思い込んでしまっているのです。

客観的とは事実です。
その穴にボールが入ると思うよ。ではなく「入る」というのが客観です。
つまり「周りからはこう見えるよ」ということや「思う」というのは客観的ではありません。
それも主観でしかありません

多くの人が政治に対して大体自分はリベラルだと考えている。

右、左で区別していますが多くの事柄で、自分より左側の人たちはやや単純で、理想主義で正しさにこだわっていると思うと同時に右側の人には利己的で思いやりがなく心が狭く、今多くの人が直面している問題を見れていないと考えています。

自分がどの位置にいても、自分より右側、左側があるのでどの立場であってもだれであっても同様に見えてしまいます。

つまり誰もが自分の見解や知識を直面している特定の問題に対し現実的な反応をしているとみなし、適したものだと考えています。

自分の考えとかけ派ならている人には現実的ではないと考え客観性がないと感じます。

冒頭の車の例であるように自分は周りのペースに合わせているのだから自分よりゆっくりな人に対してはゆっくりすぎる。速い人には速すぎると感じ間違っていると思うのです。

同様に音楽の音の大小、気温、味なども自分を基準にし、うるさいと感じたり寒い、暑い、おかしいなどと思うが違う人に対し、疑問に思うわけです。

まとめ:物事をあるがままに受けとっている

寒い、まずいなど感じたことは僕たちがものごとをあるがままに受け取っているからです。

ただそれは客観的な解釈として扱ってしまう傾向がありますが、主観であるということを忘れないようにしたほうが良いです。

自分が思っていることは事実ではなく主観であるということがあれば違う意見や考え方、感覚に対しても寛容になれるかもしれません。

「それは僕の主観だ」と自分に言うのが良いのかもしれませんね

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