諦めるべきか、諦めずに粘るべきか

諦める力 LIFE
諦める力

おはようございます!なべっちです

漫画の主人公のように諦めずに粘るべきか、または昨今言われているように諦めることも大事なのか。

優秀なのに諦めてしまう人、諦めずに成功する人。
研究者は成功と本人の能力はあまり関係なく、粘り強いかどうかが大きく関係するとしています。
かといって、何事も諦めずに取り組めば全て成功するとも言えません。

今回はどのような時に諦めて大事なことに対しては諦めずに粘り強くあるためにはどうすれば良いか考えたいと思います。

その目標は自分の価値観、好みに基づいているか?

あなたは「何年もかけて目標を達成したことがある」「始めたことは最後までやり通す」
この文章に合意ができますか?

合意ができる人は長い期間を通じて粘り強く努力する意思がある「精神力」がある人かもしれません。

厳しい状況下でも粘り強く行動を続けられる人について心理学区者のアンジェラ・ダックワースはこの性質を「強靭な精神力」と呼んでおりマラソンランナーのような粘り強さで、目標達成を目指すことができ、優れたスタミナに強みがあるとしています。

このような精神力は誰でも持つことができると研究者はいいます。
また意志の強さと目標達成には関連があり、教育レベルとも相関があると言われています。
これはないよりはあったほうがいいだろうと言う想像の通りですよね。

まずこのような目標に対し精神力を発揮するには、自発的に選択しt目標を達成していくことで、精神力も強化していくことができます。

そのためには誰かに設定されたものではなく、自分でやりたいと思ったことを続け「成績」や「評価」ではなく「成長」や「改善」の実感を得ていくことが重要です。

考えてみると「孤独」であること「孤独」を大事にできるということが大事だと思いました。
「孤独」とは寂しいとかではなく他者や周りの評価を気にせず、自分だけの世界で、自分が成長したか、楽しめたか満足できるということです。

「孤独のグルメ」は観ていないのでよくわかりませんが、1人だからこその楽しみ、自分だけの楽しみを知っているということではないでしょうか?

目標も誰かに評価されるためではなく、自分でやりたいと思えることに取り組めることが大事ではないでしょうか?

研究者や学者も周りからは理解もされず、なぜあんな価値があるかどうかわからないことに対し、何10年も研究を続けることができるのか?と思われてしまうような行動ですが、研究者は自発的に選んだものであるからこそ、知的好奇心と精神力を持って研究に没頭することができるのです。

うまくいかない原因を正しく理解する

諦めない、粘り強くといっても、うまくいかない原因を正しく理解していなければ、何度やってもどれだけ続けてもうまくいかずやがて続けていく意欲や自信さえもなくなってしまうでしょう。

またできない理由を把握していなければ「自分にはその才能がない」「自分にはできない」自分の性格など含めて直せないものだと信じてしまいます。

できないのは努力不足のためで、ただ頑張るというわけでなく、具体的にどのような努力が必要なのか向き合うことで改善や達成に近づくことができます。

諦めるべき理由

諦めるべきかどうか判断する最も大きい理由は
「達成を目指すだけの理由があるか」
です。

才能や能力がないという理由で簡単に諦めるのが間違いだということです。

確かに「歌手デビューして生きていく」という目標であれば、自分の取り組み以外にもいろんな要素がありますが、「歌が上手くなり、いろんな人に聴いてもらい感動するような歌が歌いたい」であればまだ、取り組む余地があります。

もっとも大切なことは努力や計画、適切なアプローチでありこれは誰にでもできるということです。

逆に適切な計画、アプローチが描けないのであればただ闇雲に進んでいるだけなので届かないでしょう。

適切なアプローチがあれば今はゴールに到達できなくても成長させ、向上することでその能力を得ることができます。

諦めるかどうか考えなくてはいけない2つのこと

・時間には限りがある
・代償が大きすぎるか

この2つを考えなければなりません。
誰にとっても時間は無限ではありません。
それはどれだけ能力があっても同じです。

やりたいこと、やらなくてはいけないことがあり全てをやることはできず、睡眠や食事など必要な時間もあります。

限りある時間とエネルギーで選択と集中する必要があります。

代償が大きすぎる場合も諦めることを考えなくてはいけません。
楽しいことやりたいことであっても、生活や周りを犠牲にしなくてはいけず追い求めるのが難しいことがあります。

まとめ

何事も諦めずに取り組めば良いわけでもなく、全てを諦めるわけでもありません。
本当に目指したいものなのか。
そしてそのためのプロセスは描けているかということも考え、難しいと考えた時も、スケールを変えることでまた別の目標になったりすることもあります。

僕自身昔は芝居の勉強をしてレッスンなど通っていましたが、気づくとただ通っているだけになっていました。
一度やめてみて本当に続けたければまたはじめたくなると思いやめました。

役者はやめましたが、表現はしたかったので音楽を始めライブ活動などをすることができました。

ライブなどしたのも伝えたいことがあったからでした。

今はライブはほとんどしていませんが、根底にある伝えたいという気持ちがあるからこそ、こうやってブログを書いたり、対人援助職をするに至っています。

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