おはようございます!なべっちです
結婚祝いや出産祝いなどのプレゼントが期待外れのものが多いのはなぜかというのをハーバード大学のフランチェスカ・ジーノ氏とスタンフォードのフランク・フリン氏が調べた研究についてお伝えします。
アメリカでは祝い事に必要なものを送ることができ、贈り物が重複しないよう、欲しいものを通知する合理的なシステムがあるそうです。
(日本でもアマゾンの欲しいものリストを公開するのを見かけることも多くなった気がします。)
結論:受け取る側のほしい物リストから選びプレゼントした方が喜ばれます
なぜ相手が喜ばないものをプレゼントしてしまうかというと独自に選び、心のこもった贈り物をしようとしてしまうからです。
しかし贈る側も自分が受け取る側の時は欲しいものリストにあるものを欲しいと思うのに、なぜか独自の贈り物をしたくなってしまうそうです。
感覚的にも思い当たりますね。。
研究によると贈る側は「受け取る側が欲しいものリストにのせた品が欲しいと思っている」ということを低く見積もっており、独自の贈り物の方が心がこもっていて良いと思うだろうと考えてしまっていました。
しかし実際は「欲しいものリスト」の贈り物をもらった方がはるかに嬉しいと思っています。
贈る側は独自の贈り物をする方がよいと考えたのに対し、受け取る側は「ほしい物リスト」にある贈り物を好みました。
まとめ:私ならどう感じるだろうかというのは間違っている
他人の視点から見るといっても大抵の人は自分のものの考え方から出ることができず「私ならどう感じるだろうか」と自問する傾向にあることがわかっています。
その贈り物をすれば自分が受け取った時の喜びは確かにイメージできますが、受け取る側の好みは違うからです。
贈る側はそのプレゼントを気に入っているのは間違いありませんが、友人も欲しければ欲しいものリストに登録しているはずです。
人を喜ばせたり助けるためには自分のものの見方の外にでなければならず「この場合受け取る側はどう感じるだろうか?」と考えなくてはいけません。
1歳半で69%の子供は自分の好きなものと違っていても他人が好むものを与える能力身に付いていたという実験があります。
本来人は自分の味方に拘らずに相手が喜ぶことができる能力があるはずなので、「自分だったら」ではなく「相手だったら」と考えることでバイアスが外せるかもしれません。
また文化としてほしい物リストについて気軽に聞ける、公開できる文化になるといいなと思いました。
僕はアドラー心理学が好きですが、課題の分離から言えば、自分はプレゼントをしたくてしたのだから、捨てられようと相手の自由という考え方もできますが、せっかくなら相手に喜んでもらえる方がいいですよね。
自分がされて嫌なことはしないというのも「自分だったら」という目線だと「相手の嫌なこと」とはずれてしまうかもしれません。
その相手だったら?と考えるのはマーケティングでもペルソナを設定するように、自分のバイアスから抜けるために大事な考え方ということですね!
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