他者の課題に踏み込むな。自分の課題に踏み込ませるな【課題の分離】

課題の分離 BLOG
課題の分離

おはようございます!なべっちです

課題の分離はアドラー心理学が一時期流行ったのでご存知の方も多いでしょう。
僕もこの「課題の分離」の考え方を学んだことはとても大きかったです。
7つの習慣の関心の輪と影響の輪の話とも近い考え方です。

世の中には「人に馬鹿にされる」「下に見られる」などに対して嫌だなと反応してしまう人もいます。
しかしこの課題の分離の考え方を学ぶとこのような執着は手放すことができます。

課題の分離とは

よく例えられる例としては
部下が自分のデスクの上を片付けない
という問題は誰の課題であるか?ということです。
デスクを片付けるか散らかしておくかは結論、部下本人の課題であって上司の課題ではありません。
片付けるかどうかは部下が決めることであって上司が決めることではありません。
もちろん、上司ですから「片付けろ」と命令することもできます。
しかしこれこそが「他者の課題に土足で踏み込む」と言うことなのです。
このように他者の課題に踏み込むことが対人関係のトラブルの元になります。

ほかにも誰かにプレゼントをあげたとしたら、もうそのプレゼントを喜ぶか後で捨ててしまうかはもう他者の課題です。
自分の課題は「プレゼントをあげる」時点で終わっているので相手の課題に対してどうこう思うのは「他者の課題に踏み込んでいる状態と言えます。

これは誰の課題なのか?

どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題かを線引きすることが重要です。

人に馬鹿にされたくないと思うのは個人の課題ですが、実際に相手が「馬鹿にするかどうか」は相手の課題ということです。
相手がどう思うかどうかに踏み込むことはできません。
放っておけば問題になりませんが、馬鹿にされたことを自分の課題のように感じ介入してしまうとトラブルになります。

そもそも人を馬鹿にする人はコンプレックスを抱いている可能性も高いですが、それもまた相手の課題です。

もし自分が「馬鹿にされている」ことを気にしてしまうという課題をm持っているのであれば、自分のどんな面を変えればいいのか考え取り組めばいいだけの話です。

自分の課題を生きれば良い。他人の課題を引き受けるな。自分の人生を生きろ

相手がどう思うではなく、自分の課題に集中することが大事です。
また介入したくなると言うことはまた何かしらの自分の課題があると言うことかもしれませんね

コメント

タイトルとURLをコピーしました