【頼み事が苦手な人】なぜ人にお願いするのが気まずいのか?

援助希求 BLOG
援助希求

おはようございます!なべっちです。
人を頼ったりお願いすることに抵抗を感じたり、自分でやってしまった方がいいなと思い、多少無理をしてでも自分でやろうとしてしまうことありませんか?

本来であればお願いをしたほうが、効率も良かったり、成果としても良かったりするのに、自分の「心理的な苦痛」や「気まずさ」「抵抗」などから自分でやる方が楽だという判断をしてしまうというgことが僕にもありました。

今では、自分でやろうとするより、お願いしたり頼ったりすることができるようになりましたが、今回は僕と同じように頼み事をすることがなぜ難しいのかについてお話ししたいと思います。

なぜ協力を求めたり助けを求められないのか?

・自分のステータスの低下
・馬鹿にされたり軽蔑される不安
・お願いしても受け入れてくれるかわからない確実性
・自分でコントロールできない自立性の低下
・断られた時に感じる拒絶感、社会との関連性への脅威
・断られた時に相手との関係に公平性を感じることができない

人は誰かに何かを頼むとき、無意識にそのことで自分のステータスが下がると感じやすくなります。
自分の知識や能力の不足を意味を意味してしまい、バカにされたりするかもしれないという不安を感じます。

また相手がこちらのお願いを聞いてくれるかもわからないので確実性もなく、相手の判断を受け入れなければならないので自立性の感覚も低下し、相手に拒否された時には社会的な関連性への脅威も感じてしまうので助けを求めるより、自分が辛い方を選んでしまいます

脳が実際に痛みを感じる【社会的痛み】

「心が傷ついた」という痛みは社会神経科学では脳が筋肉の痙攣やぶつけるなどの体の痛みを処理するのと同じような方法で、他者との関わりから生じる不快感を処理しているということが明らかになりました。

「心が傷ついた」というのは言葉通り本当に痛みを感じているということです。

わずかであっても「人に助けを求める」と考えると不快になり、肉体的痛みと同じ暗い現実的な「社会的痛み」を引き起こしてしまうのです。

遠慮して頼むと裏目に出てしまうことや必要な協力を得られなくなってしまう

助けを必要としていても痛みを感じてしまうので自分でなんとかしてしまおうとすることが多く必要なサポートを得ることができないことがあります。

また、相手にも申し訳ないと思うあまり、遠慮しがちで、申し訳なさそうにお願いをすると相手の「助けよう」という気持ちが薄れてしまいます。
考えてみれば頼るのが苦手な人でも、「相手が困っている時は助けたい」と考えているはずです。

お互いに手助けの必要性は感じていながらも頼む立場になるとそれがお願いできないという矛盾を抱えています。

自発的に相手を助けようとして助けられた時は人はいい気分になりますが、申し訳なさそうにお願いをすると相手はコントロールされていると感じてしまい、いい気分は消え去ってしまいます。

要するに誰かに助けるよう指示されたり、誰かを助けなければならないと考えたり、助ける以外に選択肢がないと感じてしまうので助けたいという気持ちがうしなわれてしまうのです。

頼み事をする際、相手に貸しをつくったような気分になることはありませんか?

本来ならば人を助けるというのは相手が気持ちよくなることでもあり、お互いがいい気持ちで終われるものなのです。

早めに相談や助けを求めるのがお互いにとって大事なことです。

それでは具体的にどうすれば良いかについてはまたお伝えしていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました