【話が伝わらない】なぜコミュニケーションギャップは起こるのか?3つの原因【象の鼻としっぽ】

象の鼻としっぽ 雑記

実社会における会話の85%は、話が噛み合っていない。それなのに、60%は通じている。

森博嗣

こんにちは!なべっちです。

日常や仕事でも、話が伝わらない、齟齬があるなどコミュニケーションのエラーは起こると思いますが、その理由について細谷功さんの著書「象の鼻としっぽ」に書かれていたので、参考にしながらお伝えしたいと思います。

コミュニケーションギャップの3つの原因!

①人は自分中心にしか考えられないから
②「伝わっている」という幻想
③象の鼻としっぽの構造で同じ像が人によって違って見えること

①と②の原因から③の人によって違うところをみるということが起こり、コミュニケーションギャップが起こります

もう少し各原因についてもう少し詳しく説明していきましょう!

人間は例外なく自分中心

「客観的に」
「相手の立場にたって」
「相手の目線で」と言いますが、相手の目線に立つなど不可能ですし、いくら考えたところで本人が考える以上多くの場合できていません。
もしそんなことを言う人がいたら、あなたはできているのですか?と伝えてあげても良いです。

そもそも自分中心に物事を考えているという自覚が足りないことでギャップが発生します。

自分中心にしか考えていないと言われても、心ではそれでも他人の視点で物事を考えているなどと思いませんか?

自分が思っている以上に人は自分中心であるということを覚えておいた方が良いでしょう。

伝わっているという幻想

コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である

ジョージ・バーナード・ショー

コミュニケーションにおける問題は、自分の伝えたことが伝わっていると思い込んでいるから伝わっていないときにストレスになったりします。

大事なのは「伝わっていない」ことを前提にすることです。

伝わっていないこと前提であれば、何度も同じことを伝えても当たり前のことですし、伝える工夫もするでしょう。

これも自分中心と同様に「これぐらいは伝わっている」というラインも過大評価しているということを気をつけましょう。

象の鼻と尻尾を別々にみているから

象をみたことがない人に目をつぶり撫でてもらうと、鼻を触った人は

「象とは太くて身長ぐらい長く、自由に変形するもの」といい、尻尾を触った人は
「象とは細長いロープのようなもの」

という印象を持ちます。

この2人が象について話しても噛み合いません。

お互いが違うものを観ていると考え、全体をみるよう心がけますが、それでも一部分しかみていないのではないか?と常に自分を疑いましょう。

また人は都合のいい部分しか見ない特性もあります。

無意識のバイアスもありますし、自分の考えやみていることは全部ではないという認識を持ちましょう!

伝わらないのは自分のせい

伝わらない時に、相手の理解力や環境などのせいにしてしまうことがありますが、これも自分のせいだと思った方が良いでしょう。

相手に非があると考えてしまうと、改善もできないですし、伝わらない相手にストレスさえ感じてしまいます。

自分のせいだと思うことで相手に伝えるために伝え方も考えることができます。
相手のせいだと考えると思考停止です。

【実態と印象のギャップ】評価が変わるのも自分が見えていないだけ

内閣の支持率やサッカーチームの評価もちょっと何かあると変わったりすることがあると思います。

しかし、本質的なものはかわったでしょうか?

パフォーマンスや方針自体は変わらないのに印象として違うように見えたり、自分が見えてない部分が見えただけに過ぎません。

いい評価や褒められたとしても嬉しくなかったりするのは元々そうだったし、貴方がみてなかっただけでしょ?と思ったりしませんか?
何かに対し、自分が評価を改めるときや意外だ!と思った時、それは自分がただみれていなかっただけと言うことを思い出しましょう。

よくドラえもんで「映画のジャイアンはいいやつ」と言う話もありますが、あれもただジャイアンと言う人の一面しかみていないだけですし、逆に普段の横暴さも彼ですからいい奴だといえるかどうかはわかりません。

自分が知らないということすら知らない領域の方がはるかに大きい

ソクラテスの「不知の自覚」(以前無知の知は誤用だという話はしましたね)
「知らないことを知っている」では2つ目の知らないことを知っているですが、「自分が知らない事すら知らない」領域の方が大きいことを自覚し何も知らないと思うのが大事です。

だからこそ知ろうとし、自分の考えが絶対でないことを前提にできます

【論理か心理か】論理的という錯覚

論理的に正しいことと、心理的に正しいことの間にギャップがあるということを双方理解する必要があります。
論理的に正しいことを心理的なフィルターを通し正しくないと思い込んでしまったり、論理的に正しくないことも心理的なフィルターを通し正しいと思い込んでしまうこともあります、

これに事実と解釈のぶれなども当てはまります。
こう見えて欲しいやこう見えているはずたというのも心理で自分自身の目は心理によっても大きく影響があることを覚えておきましょう!

まとめ

自分の伝えているということは相手に伝わっていないと考え、

・何度も
・いろんなやり方で
・相手に合わせて
・全ての5感に対して
・論理と感情両方に
・一方的でなく双方向に
・何度も確認して

伝えていくしかありません。

何だか伝えるって大変ですね!

言葉とは、全てがありのままに伝えわる万能なコミュニケーションツールではありません。

でも、だからこそ人は、一生懸命伝えようとしますし、言葉だけでなく、歌にしたり、身体で表現したりするのではないでしょうか?

人は何かを考えるとき、言葉で考えます。これは人の思考自体が、誰かに伝えることを前提としています。
自分があるというのは他者があるからといえ「我思う、故に我あり」かもしれませんが、その我思うというのは他者があり、故に我を思えるのかもしれません。

また山奥で誰かが何かの真理に辿り着いたとしても、それを誰かに伝えることができなければ、真理と言えないかもしれませんし、その人が絶えてしまえば終わってしまうものです。

大変かもしれないですけど、それでも伝えようとすることに価値があるのかもしれません。

伝わらないのは自分の工夫が足りないせいなので、日々、工夫を重ねることで自分自身も成長していけるのだと思います!

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