こんにちは!なべっちです。
失敗やミスはあるけれど、自分で考えたり、アイデアをだし、違うと思った時には言ってくれるような人と、そつなくこなしてくれて、大きなミスもなく、言われたことはすぐに改善するような人とどっちの人と仕事したいでしょうか?
褒めても叱ってもいけないというのはご存知の方も多いと思いますが難しいのも事実です。
いや、叱ったら改善されたよ!とか、叱られた方も、きつく叱られたおかげで成長できました!ということもありますが、そう見えるだけという即効性と有効性についてお伝えしたいと思います!
昨今、心理的安全性の重要性は語られていますが、怒ったりする人がいる職場では成果が減少することもわかっています。研究しなくても当たり前だとは思うのですが、その当たり前がなかったりもしますよね。
叱ったり、怒ったりする上司がいたら、それ意味ないですよ!、なんで怒ってるんですか!?と伝えてあげましょう(推奨はしません!笑)
叱ると問題行動はやめるので解決したかのように見える
子供や部下がミスをした時や問題行動を定期的に起こしてしまう人がいるときつく叱ってしまうと思います。
そうすると、叱られてその行動を続ける人はなかなかいないと思うので一度はその行動を止めるでしょう。
しかし、しばらくすると同じことが起きると思います。
つまり、叱られた時は、改善され即効性はありますが、叱ることに長期的に改善する有効性はないということです。
長期的に改善が見られたとしても、独創性は失われている
繰り返したとしても、こちらも継続的に叱ることで「いい人」になることもあると思います。
ただこれはこちらに都合の良い「いい人」であり、業務上問題などは起きなくなるかもしれませんが、同時に自分で何かやってみようといった挑戦力や発想して何かを提案するような今の時代最も必要とされるものを失っていることに他ならないのです。
なぜ積極性や独創性が失われるのか
子供は部下は、叱られたり、怒られたりするたびに、学習はするでしょう。
それは親や上司に叱られないようにする方法です。
顔色を伺うようになり、叱られるか、叱られないか。怒られるか、怒られないかという判断軸で、相手の望む行動をしようとして、自分で判断をしなくなります。
なので、大きなミスもしなくなるですし、期待通りの行動をするでしょう。
ただその分、期待以上の成果や行動もしなくなり、その枠の中におさまるようになるでしょう。
それでいいじゃないか!と思う人もいるかもしれませんが、僕はもったいないと思いますし、人と仕事をする価値を手放してしまっているなと考えます。
欠点を指摘し、萎縮させながら指導しても育たないと考えています。
映画の「セッション」はそう考えると、体罰的なものもあり、最たるものに感じます。
もちろん、それで成功した人もいるでしょう。
しかし同時に挫折したり、音楽自体辞めた人も多かったのではないでしょうか?
講師が良かったのではなく、ただ単にふるいにかけ生徒が優秀だっただけだとも言えます。
アクションプラン
じゃあどうすればいいのでしょうか。問題行動があっても放っておくしかないのでしょうか?
もちろん必要な指摘はしないといけません。
でも叱ったり、怒ったりするのではなく、言葉で説明して伝えれば良いのです。
誰もが、意図してミスや失敗をしたいわけでも迷惑をかけたいわけでもなく、貢献できると嬉しいので役に立ちたいとは考えていると思います。
言葉でちゃんと説明すれば、相手も言い分があればそれを話してくれるでしょう。
またそれを言い訳するなとか、感情的に叱っていくと反発したり、先ほどのように様々なものを捨てて、いうことを聞くかもしれません。
失敗やミスは、挑戦した証拠だと思います。
できることだけしていたら、ミスはしないでしょう。
失敗したときにこそ成長をしますし、糧にできればそれはもはや失敗ではないと言えます。
失敗できる関係を作ることで、成果につながると思います。
それでも感情的になってしまう方もいると思うので、感情的にならない方法や、なぜ上司は叱る人がいるのかについてはまた今度お伝えしたいと思います
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