こんにちは!なべっちです!
心理学や哲学は学んでて楽しく日常にもいかせるので面白く少しずつ学んでいます!
人の根源的な疑問をこころの問題”に思索や論理を通じて迫るのが哲学、科学的なしくみとして解決しようとするのが心理学といいますがどちらも面白いですよね!
絶対的な真理などない。相対的なものである
人間は万物の尺度である
プロタゴラス
全ては相対的なものとする相対主義
例えば「冷たい水が入っている」
これについて「冷たい水が入っているといえるのか?」なぜなら極寒の中にいる人からしたら「暖かい」になるからである。
こういったことから絶対的なことはなく、その人の状態などによる相対的なものであるといった思想です
相対主義の蔓延による腐敗
同じ行為でも捉え方により正義や悪にでもなるということでもあります。
この特性から当時の政治家に広まりました。
なぜならどんな酷い主張も相対的にすることによって素晴らしい意見にでき、他者の意見さえ否定できてしまうからです。
何か具体的なことをいうと、そうはいうけど、こういった考え方もできるではないか!?
と相対主義によって否定をされ無効化されてしまいました。
真理を追求する
全て相対的として、人それぞれだよねという態度により、政治の腐敗などにもつながったようです。
哲学とは、答えがなく追求していくものでもあるので、人それぞれとしてしまうとそれで終わってしまうのです。
ソクラテスは問答法により、自分の正しさを通していた、相対主義の政治家を論破し、正しさなんて人それぞれと考えていた当時の人々に衝撃を与えました。
あらゆるものを疑ったデカルトも真理を見つけるために探求していきました。
一見良い人に見える相対主義だが危険性もある
「人それぞれだよねと受け止め、そういう考え方もあるよねー。」
とすると深い議論もせずに終わってしまいます。
自分の意見を持って、ポジションをとることが大事な時代かもしれません。
例えば料理人が、味を指摘されても「好みの差」で終えてしまいます。
もっとこうした方が良いのでは!?といった議論は相対主義では、あなたはそういうけど僕は違うということで、論じることが無価値になります。
議論がないということはそれで改善も何もされなくなるのがデメリットだと言えると思います。
また、口では「みんな違ってみんな良い」といいつつも実際は評価というものがあり、
実は見えない正解のようなものがあって、ある人は評価が低くなったりします。
多数派の意見が正しいとなっていくだけかもしれません。
現実は相対主義ではままならないことが指摘できると思います。
相対主義のパラドックス
『いかなる命題も、絶対に正しいということはない』という主張自身は果たして絶対に正しいのか、それとも、絶対に正しいということはないのか」という点をめぐる矛盾が発生する。もしも相対主義が正しいとしたら、いかなる命題も絶対に正しいということはないはずなのだが、それならば、「いかなる命題も絶対に正しいことはない」という命題も絶対に正しいということはなく、したがって「絶対に正しい命題」が存在するはずで、それは相対主義の基本的な主張と矛盾するため、相対主義は間違っているというものである。
wikipedeia
僕もみんな違ってみんないい、人それぞれでいいのでは?と思っていましたが、それは当たり前のこと。
そう言っておくのが確かに楽だと思いますし誰も傷つけないと思います。
ただそれだけでは生きづらい世の中では確かにあって、また哲学者たちの真理への探求の精神や過程がとても面白いなと思いました。
コメント
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