「一番下品な格言って知ってる?」
笑わない数学者/森博嗣
「働かざるもの食うべからず、ですね?」
「そうだ。いやらしい、卑屈な言葉だよね。 僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」
「え?どんな?」
「一日作さざれば、一日食らわず」
「それ、同じじゃありませんか?」
「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」
おはようございます!なべっちです。
仕事にやりがいや生きがいを求めるのも自由ですが、求めなくても良いというお話しです。
豊かだからこそ意味を見出そうと悩んだり苦しんだりする
そもそも、仕事は成果を出し、誰かの役に立たなくては成立しません。
こちらがやりがいを持とうが持たなかろうが関係ありません。
神の見えざる手でも言われるように、必要がなければ淘汰されますし、いくらやりがいを持っていても、プロとしての質がなくては解雇されるだけです。
そもそも、生きる意味や仕事に意味を見出す必要があるのは僕達が豊かになり余裕があるからです。
貧しく、仕事を選ぶ余裕もなければ、やれることをやっていくしかありません。
ですから、やりがいを求めるというのは豊かな証拠なので良いことかもしれません。
しかし、それによって苦しんでいる人も多いように見受けられます。
「この仕事はやりがいが感じられないからやだ」などなど
実際に僕も、もうこの仕事はいいかなぁーとか慣れてくるとすぐ辞めてしまって次の新しいことを探していました。
しかし、いくら転職しても、しばらくすると慣れて飽きてしまうのです。
仕事をいくら変えようが自分がどう捉えるかの問題の方が大きかったように感じます。
仕事は本来楽しいもの。しかし仕事は単純化され人間がやる必要は無くなっていく
誤解しないでいただきたいのが、やりがいや生きがいにしないからといって楽しくないということではなく、
本来仕事は楽しいものです。
狩猟をして生きてきた人間は、大変ながらも楽しみながら生活をしてきたはずです。
しかし、今の「仕事」は仕組み化され、誰がやっても同じ成果が出るようにされていっています。
自分で事業など起業をしたりしないことには、どれもつまらない仕事になっていきますし、いずれAIや機械に仕事がうばれて行くのも当然ですし、楽を目指す生き物としては素晴らしいことです。
仕事に価値を見出すのは良いですが、それができるのは、仕事をするスキルがある人だけになっていきます。
仕事ができなくても生きていけるようになっていくと思いますし、実際にアニメの世界観ではしたい人だけがするといった世界観のアニメもあります。
仕事だけにやりがいを見出すのも良いですが、それを抜いた時自分に何が残るのか。
楽しいこと。好きなことがあるか?
幾つになっても、やりたいことがたくさんあるといいですね。
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