やはり、最後の敵は同じ人間だったな
冬月コウゾウ/エヴァンゲリオン
おはようございます!なべっちです。
今日は「進撃の巨人」を観ていて改めて思った。結局最後は人が敵になるということについてです。
今回は科学的な話でもなく「思ったこと」です
人だからこそ争うが、人だからこそ対話で終わらせることができる
「進撃の巨人」では、最初「巨人」という存在が「人類」にとっての敵でしたが、結局同じ人間であり、人間同士の争いになっていきます。
エヴァンゲリオンでも象徴的なやりとりとしてNERV本部が最初に被害を受けた時、
冬月が「本部初の被害が使徒では無く同じ人間にやられたものとは やりきれんな」
続いてゲンドウが「所詮、人間のは人間だよ」というやりとりがテレビ版でもありましたが、
現実、僕たちが傷つくのも人との関係によってですよね。
しかしシンエヴァンゲリオンでは「人間だからこそ」対話で終わらせることができました。
元々進撃の巨人も「巨人」という脅威がありながら、政治的な問題など壁の中にありました。
巨人がいなくてもさまざまな問題があったと思います。
ウォーキングデッドも全てみたわけではなかったですが、ゾンビ以上に人間が脅威になっていました。
まとめ:人類の脅威がなくても人は争っている。共通の敵がいた方がよい?
エヴァンゲリオンも進撃の巨人もウォーキングデッドも脅威がありながらも最後の敵は人間だった。
と言えます。
アドラーも全ての悩みは「人間関係」と結論づけているように人は人のことで悩みます。
ウルトラマンやゴジラみたいに得体の知れない脅威がいた方が人はまとまることができるのでしょうか?
企業も同じビジョンを追いかけていくことで一つになりますが、その中でも争いや衝突が起きたりしますよね
と話を大きく広げなくても、自分たちができるのはそばにいる人に思いやりを持つことができるか?
自分はどうするかだけですね!
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