おはようございます!なべっちです
子供が初めて2本足で歩き始めるというのは成長の過程において、驚きと感動の場面の1つだと思います。
歩き始めると成長への素直な嬉しさと、「歩けるようになれた」安心感、未来も健やかに育てるという希望さえ感じるのではないでしょうか?
しかし周りが歩き始めた年齢やいわゆる標準と比べてなかなか歩き始めないと成長が遅いのではないかと心配になる方もいます。
今回は個の科学によって、歩くまでの道のりは当たり前のように違うので心配しなくて良いこと。達成への道のりは「誰もが行く人の少ない道を歩んでいる」ということについてお伝えしたいと思います。
【思い込み】人が歩くまでの過程も人それぞれ
赤ちゃんが初めて歩くまでには腹這い、ハイハイなどを経て歩くと考えると思いますが、実はハイハイさえ必要なく、人によって違います
先程の子供が2本足で歩くまでの事例で見ていくと、大人は「正しい年齢で立ち上がるか」「正しい方法でハイハイするか」見守っていきますが、その過程で自分の子が平均的な年齢より遅れがちだと思うと不安になったりすることもあるのではないでしょうか?
またハイハイの様子が他の子と違ったり、一般的な行動と外れていると「何かがおかしい」サインではないかと思い込んでしまうこともあるでしょう。
これは「正常な」体や人格、発達過程があると信じてしまっているからです。
「歩く」という目標や「医者になる」などの目標にしても正しい道があると考えてしまう考えを「規範的思考」とトッドローズ氏は言っています。
歩く、話はじめる時期、本を読む年齢など発達に決められた道はない
歩くという動作は定められた発達段階を一定の手順を踏んだ末に歩くというのは疑いすら持たれず平均的な年齢に基づき成長していくものだと考えられていました。
異論を唱えたのはカレン・アドルフ氏は幼児が歩くまでの発達についての研究を行い、ハイハイに至るまでの過程で「正常な道などない」ということを発見しました。
歩くまでの過程は25種類ありどのような過程であっても最終的には全員が同じように歩けるようになりました。
一定の進路があると信じる学者は腹這いなど一定の段階を踏みながら成長すると主張していましたが、半分近くは腹這いさえまったくしないパターンでした。
また歩き始めたりしたりして喜んだと思ったら、次はなかなか歩かず逆戻りなんてこともあると思います。
アドルフ氏は「どの赤ちゃんも体の動きの問題をユニークな方法で解決している」とのことでした。
ハイハイのパターンだけではなく、むしろハイハイさえ通過しなくても良いということがわかりました。
ハイハイは特定の文化の中で人工的に作り出されたもので、特殊な子供たちの行動のサンプルを集め、平均して引き出された結果に過ぎなかったとのことで、これは僕も驚きました。
思えば本屋さんに行ったら「○歳向けの本」とかありますがそもそも○歳など想定しているのも間違っているのかもしれませんね。
ハイハイなどの事例だけでなくガン細胞の成長経路も一般的な成長経路があると信じていたため、早期発見が難しかったのですが、複数の経路が存在するとわかってからは効果的な治療や薬の開発につながりました。
精神的なものも同様でうつ病の治療においても回復までは一般的な経路があると想定されていましたが、一般的な回復経路は30%ほどしか当てはまらず、ほとんどのケースが当てはまらず個別での対応の大事さがわかりました。
子供の成長だけでなく、キャリアプランも正しい経路はない。あると考えるので取り残された気持ちになる
普通の従業員、見習いなどキャリアを始め、課長、部長、本部長となっていくというテイラー氏が土台を作った階層型はいまだに根強く残っています。
労働時間や勤務時間などの標準化もされていきましたが教育制度においても「一般的な進路」が持ち込まれました。
現代でも必修科目はある時期までは同じで、授業時間、在学期間、学期の設定もされており、同じ年齢で同じ知識を身につけて卒業していきます。
一般的な(正常な進路)があると考えエンジニアならエンジニア、教授なら教授の進路が決められています。
このように成功に至る正常な進路があると信じていると自分の進捗を平均的な尺度と比較してしまいます。
そして自分が外れていたり時間がかかっていると取り残されているような気持ちや問題があるのではないかと考えてしまいます。
そもそも当たり前のようにその過程が違うということを考えましょう。
まとめ
人の体、精神、モラル、職業など、成長についてはった一つの正常な経路がないということです!
いかなるゴールも辿り着く道はいくつもあって、どれも妥当な方法であるということ。
最適な経路は個性(人)によって決まります!
経営だと戦略と戦術の話で手段はいくらでもあると考えられるのに、他のことには応用できず、評価をしてしまっていることなど改めていけるとよいと思います。
等結果性という複雑系の数学によると、人と世界の関わりなど長い時間をかけた変化を伴う多元的システムにおいては例外なくAからBの地点に到達するまでに複数の経路が常に存在するとされています。
そして個性の科学でいうと個性にばらつきがあり、それはコンテクスト(背景)に左右され、進歩の速度も、結果に至るまでの順序も異なるのが当然と考えます。
一般的な成長の過程など存在しないということを覚えておいてください!
落ち込む必要も人と比べても意味がありません!
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