こんにちは!なべっちです
テレビはアニメかドラマぐらいしかみないのですが、日本にいて良かったと思うのは
アニメが観れることです!このアニメ、映像文化も日本人が、元々文章から映像にするだからではないか?といった話です。
また引き続き日常の言葉を英語に置き換えたりして楽しみながら勉強しているのですが、まだまだ習得に至らず。
ただ楽しいので続けますが、日本語と英語の思考の違いについて書きたいと思います
説明書の違いからみる日本語 映像化の苦手について
プラモデルやミニ四駆の説明書は世界のものと比べると変わったものだで、日本の説明書は図解がとても多く、世界ではこのような説明書は無かったそうです。
これは日本人が言語から図形を頭で考えるのが苦手だったからと考えられます。
今でも海外の説明書は文字だけのものも多いそうです。
これは文章だけで手順を正確に提示でき、読む人も理解できるかだそうで、日本だと「わかりづらい!」とレビューも評価を下げられそうですね。。
小説でもラノベが人気あるのも文章から映像にするのが苦手だからこそ、その補完がされているから人気なのでしょう。自由にキャラクターや映像を想像できる楽しみが限定されてしまうにもかかわらず、それを喜んで手に取ります。
漫画も文章から映像を展開しづらい言語だからわかりやすさを求めた結果かもしれません
倫理性の乏しい日本語
自分もついついやってしまいますが、日本語は広く言葉を取れたりするのでメリットでもありますが曖昧です。
それ故なのか、言葉にこだわり、相手の言葉尻をとって揚げ足をとったり、それって言い方違うよねとか、印象がとかいってしまうことがあります。
本質的なものでなく余計なことに時間を奪われ、口論したりお互い嫌な気持ちになったりすることもあるのではないでしょうか?
僕も日本語しか使えないのでこのように日本語で書いていますが、朝起きて一気に書いているので、まぁ仕方ないかと思いながら書きながら言葉とかおかしくないだろうかとか考えてしまいます。
半沢直樹のようにその言い方はなんだ!とか謝れ!!とかいうのもそういうところからかもしれませんね。
ただ優劣ではなく、それも日本語の面白さだとも思います。
第2言語を習得している人の方が思考の幅が広くなるとも言います。
人は考える時言葉で考えます。
それは考えるという行為が人に伝えることが前提であると言えるのかもしれません。
自分で考えるだけなら言語である必要もないからです。
であるならば自分が採用している言語や文化に思考は影響を受けるのかなと思いました。
また言語化能力と鬱の相関はあると研究があります。
漠然としたものは捉えられず、解決や思考が進まないから反芻思考にもなります。なので書いたり具体的にしていく書く作業は不安対策にも効果があります。
元々曖昧な言語である日本語は鬱になりやすいかもしれないですね
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