おはようございます!なべっちです。
励ましても意味はないからである。
卒業式、入学式、成人式、スポーツいろんな場面で人は励ます。
励まされた方は社交辞令で「ありがとうございます」「応援のおかげです」と言わされる。
応援する気持ちはわかる。しかしその場の主役である人は他の誰よりも「これから頑張ろう」としている人なのに、傍観しているだけの人が頑張れと応援する
正直な気持ちの人であれば、応援したい気持ちがあっても、いわなきやいけない空気感ではそんなことわかっているのでわざわざ言わないし、もはやそういった式や会には出なくなっていく
「贈らない言葉」という小タイトルで森博嗣氏の著作から全く同様に感じる
式や会の前後で人は変化しない
は意図が変わるのは日々の積み重ね。そしてどうなりたいかの方向性がありそちらに向かって日々取り組んでいることが成果として現れる
この社会は生きづらいと感じるがそれも誰も強制はしていない。
自分には自由に生きる能力がないからだといえる。
合わせる方のメリットが大きいからだ。
そもそも学校教育も周りに合わせれるように訓練を提供している。
自分は貧しさのおかげかその教育通りには受けれていない。しかし中途半端なので辛く感じてしまう。
誰もが辛さを感じているのに、変わらない、変えようとしない社会。
頑張って合わせるのか、
しかし争うのは別の苦しみがある。
なかなか踏み出せないなと思いながら今日も思ってもいないことで相手に合わせて生きている
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