手を出さない子供にお菓子を与えることができないように、教育を受けるという動詞はあっても、教育するという概念は単独では存在しえないのである。
封印再度/森博嗣
おはようございます!なべっちです。
今日はアニメHUNTER×HUNTERから、何か物事を教える人、もしくは教わる立場の人に向けたヒントがあったのでお伝えします。
ゴールデンウィークということもあり、観そびれていたアニメで進撃の巨人やHUNTER×HUNTERを観ていました。
1回目のアニメ化のものは観ていたのですが2回目のアニメ化のは観ていなかったのでグリードアイランド編から観ました。
【教えるとは教えずに機会をつくる】基本は教えるが、必要以上に教えずに気づきの機会を奪わない
ゴンとキルアはグリードアイランド内でであったビスケと「念」の修行をすることになりました。 基本的な使い方は教えますが、どうすれば良いかその修行で気づくことを設計し提供していました。
最初から「教えてあげればいいじゃん!」ということも、見守り教えずにいます。 グリードアイランド自体もゴンが強くなるために設計されていますが、ビスケも必要なことを見極め、ステップを踏んで気づきを得ながら学んでいけるようにしています。
僕は孫正義さんも受けていていた「MG」研修を受けていましたが、その中で ・教えない ・教えあい ・紙は自分で
という3つの文化がありました。 教えないのは、自分で気づいた時に1番学びになるからです。 教えてもらったものは忘れてしまうでしょう。
一緒に学ぶ仲間がいる
ゴンにとってキルアがいることが成長に大きく貢献しました。 競い合ってというよりはお互いが、強くなるという目的のために本当の意味で切磋琢磨しお互いからも気づきを得ることができていました。
今は学校に通わなくても良い時代になってきましたが、一緒に学ぶ良い関係の仲間が作れたら、お互いからも学ぶことができるので、コンテンツよりはその環境にメリットがあるように感じます。
まとめ
HUNTER×HUNTERを観て教えるとは教えずに気づきの機会を与えることだと感じました。
内容なんかは調べればいくらでも出てきます。
ビスケはこの修行から「このような気づきが得られる」と設計しておりすごいなと感心させられるばかりでしたが、そこで気づけるかどうかは本人次第になります。
やはりここでも本人の主体性が1番重要ということです。
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