こんにちは!なべっちです!
何か欲しいものがある時、観たいものがある時
最近では必ずあるのがレビューや評価。
プロテインを買うときもレビューやおすすめを参考にすることはないでしょうか?
今日はそんなレビューによって自由がなくなっているのではないか?
というお話です。
気に入って買ったものの評価が低いと嫌な気持ちになる
amazonなどで購入した後、評価が低いと自分は特に困ってないけど、少し損した気持ちになりませんか?
もしくは他にもっといいものがあったのかもしれない。
そんなふうに考えてしまう事があるかもしれません。
映画なども同じで自分は楽しかったのに、レビューが低かったりすると
面白いと思った自分が浅はかだったのか?など少しケチをつけられたような気持ち。逆にそのレビューに対して、「わかってないな」などの批判的な気持ちも抱くかもしれません。
どちらにしても自分の軸で評価、感じていたものが影響を受けてしまっているということはないでしょうか?
選ぶときの基準にもなっている
具体的なものの機能性であればレビューや評価は気になってもまだ良いかもしれません。
ただ映画も楽しみにしていたのに、レビューが低かったから
やっぱり違うのにしようか?となってしまい本当であれば観ていたものが観ないという結果になってしまいます。
もちろん本当にレビュー通りということもあるかもしれませんが、
作品というのはつまらなかったとしても、何かしら一つでも、その人の感じ方で「いいな」と思えるものが見つけられたかもしれません。
その可能性を失うことになるのではないでしょうか?
レビューのせいにするのが楽である
食事場所を選ぶ時、食べログなどのサイトも参考にすることが多いと思います。
ただ、あまり良いなと思わなかった時、「評価はよかったんだけどな」
と言い訳をすることができます。
自分の感性で選ぶということは、その人自身の評価にもつながるので、
「いいと思った」という自分の基準を他者に評価されるのも怖い気持ちなどがあり、多数の評価に依存するようになっていくのではないでしょうか?
テレビのワイプも気持ち悪い
テレビはもう観なくなりましたが、バラエティ番組では端にタレントの表情が映ってリアクションが見れます。
あれによって、これは面白いところだよ!とか泣くところだよとかどういうリアクションをとるべきか教えてくれています。
そんなものがないと楽しめない。もしくは共感が欲しいのかと思うと怖いなと思います。
まとめ
自分で、面白いもの、楽しいもの、感動するものを見つける。評価できるようになれるといいのではないでしょうか?
ただ物の性能などは評価を参考にしてもいいと思います。
何かを選ぶ時に、自分の意思決定したことの価値が下がるような使い方がなければいいなと思います。
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