【哲学 エポケー】「それって主観ですよね」は自分に向けて言おう【判断中止】

それってあなたの感想ですよね? BLOG
それってあなたの感想ですよね?

客観的、抽象的な考えができない人というのは、つまり「そうは考えたくない」という人なのである。あるいは、感情的に「そういうふうに考えるのは嫌いだ」という気持ちを持っている場合もある。人のことをあれこれ考えるのはいけないこと、はしたないことだ、と思っている人もいるかもしれない。

森博嗣

おはようございます!なべっちです。

ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね(主観ですよね)」というのは、他の人が会話で使うと嫌な人になってしまうかもしれませんが、自分に向けていうと思考を深めたり、物事の判断やバイアスを取り除くのにも使えるかもしれないなと思いました。

エポケーとは「判断停止」目の前のリンゴが本当にあるといえるのか?

目の前にリンゴがあったとしても、それが本当にリンゴがあるといえるのでしょうか?

リンゴがそこにあるというのは客観的な事実でしょうか?

「リンゴが存在していて、そのリンゴを私が見ている」という結果を考えるのが普通でしょう

リンゴが存在してそれを見ていると思っている自分がいる

エポケーというのは、事実をみていると客観的評価をしてもそれを主観に戻すということです。
つまり「本当にそうなのか?」という視点に戻します。

目の前にリンゴがある状況は疑い用のない事実のように見えますが、自分が幻覚をみているという可能性もありますし、そのためには自分が事実をみれることを証明しなくてはなりません。

自分の世界観が正しいと思わない

他者とのコミュニケーションでも、相手と自分の価値観や事実が違ったときにも自分の見方を一旦保留し話をよく聞くのが大事だということです。

それってあなたの主観ですよね。と思うのと同様に自分の意見や事実の捉え方も主観ではないか?という視点を持っておきましょう。

そもそも、謎だと思うこと自体が主観であり、基のデータには、客観的な謎が存在しているわけではない。多くの場合、それは単なる勘違い、すなわち、記憶間違い、あるいは見込み違いによって見かけ上生じる。

謎が解消するという概念もまた、単なる思い込み、あるいは推論による納得、それとも、最適な解釈による妥協でしかない。自分の中で、なにかが歩み寄った結果だ。

現実というものを相手にする場合、どんなものであれ、多かれ少なかれ、歩み寄りが必要だろう。自分が摑んだ、と思える真実とは、自分が作り上げた都合の良い真実である。

本当のところ、真実とは、けっして完全に目の前に姿を現すことはないのだから。

特に、人間が行うこと、人間が考えることは、さらに曖昧なものであり、因果関係を数式のように結ぶことはほぼ不可能だ。たとえできたとしても、そのほとんどは、平均的、あるいは代表的な一つの仮説を示しているにすぎない。それで納得する人間がいる、という現象に基づいた解決の一手法とはいえ、これもやはり妥協の産物である。

森博嗣

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