妄想とは相反する証拠があっても変わることのない固定した信念

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統一教会

おはようございます!なべっちです。

もうすぐ公認心理師の試験です。過去問は大丈夫だけど周辺知識が心配。
やるだけやってみるしかないです!

DSMー5では妄想は思考の障害の一種であり、タイトルの通り「妄想とは相反する証拠があっても変わることのない固定した信念」を持っていることが診断根拠になってきます。

人はいつだって変わっていけるし、考えや意見も変わるものです。
しかし、それが変わらないと断言できてしまうのが1番怖いのだなと思います。

カズレーサーさんも揶揄していましたが、揺らがない人は無敵です。
良くアニメでもありますが、魅力的な人は、何にも動じない人ではなく、なやんだり、揺らぎながらも成長していく人ではないでしょうか?

最近話題の統一教会など宗教も場合によっては妄想に当てはまります。(全てが悪いわけでなく、障害になるかが問題です、例えば統一教会とか信じていても、他で言わなければ、別に問題は起きませんが、人に話したり勧めたりしたら問題になります。しかしこういった宗教の難しいのは、他コミュニティとの断絶を生むためにそう思われることも目的だったりする)

合理的なブッダはさすがというか、霊や先祖、恨みなど見えないものに関しては否定しています。(考えても意味がないから)ただ輪廻転生という概念はありますが、だからこそ現代でも有効なテクニックとして受け入れられていることはたくさんあります。

科学を信じるのであれば、覆ることは多々ありますが今までの意見に固執するのではなく、違ったのかと受け入れ意見を変えることができます。
もしくはその否定や批判に対し、再度検証をします。

科学は前提として疑うところから入ります。また仏教であれば「祖に会えば祖を殺せ」と要するに疑うことから入ります。

しかし、新興宗教やネットワークビジネスなどは「信じる」ところを入り口にしています。
そもそも信じるというのは事実ではない可能性を内包しているからこそ「信じる」という言葉を使います。

富士山があることを「信じる」とは言わないように、明らかなことには使いません。
つまり嘘だということがわかっていても宗教を求めるのはなぜでしょうか?

為末氏の今日のツイートです。

自分で自分の価値観を明確にできないとき、人は宗教に頼ります。

実際に宗教を信じている人は幸福度が高かったりします。
また、同じことを信じている仲間がいるので、孤独感も解消されます。

何が言いたいかというと、他者に求めるより自分の価値観ぐらいは自分で明確にしていく方が、他の価値観についても寛容になれるのではないかとも思います。

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